コラム ~診療室から~院長の近況報告(2015年2月)

院長の近況をご報告いたします。


 川口市に転居して、今年で20年になります。引っ越して来たと思ったら、阪神・淡路大震災があって、さらに、地下鉄サリン事件があって、忘れられない年になりました。
 私は長く、自分は長野県人だと思っていましたが、実は長野県に住んでいたのは、高校を卒業するまでの18年間で、すでに、埼玉県人川口市民としての時間のほうが長くなりました。
 何故、長野県人としての意識が長く残っていたかを考えてみると、三つ子の魂百までということもありますし、高校を卒業してから全国各地を転々として、若いうちに、色々なカルチャーショックを受けたこともあると思います。
そして、今になって驚くのは、長野県はよく教育県と言われますが、知的レベルがどうと言うより、長野県で学校教育を受けた人なら、誰でも、長野県県歌「信濃の国」が歌える事です。日本人なら大抵の人が「君が代」を歌えると思いますが、そのくらいに、長野県出身者には染み込んでいると思います。私の祖母は百歳まで生きましたが、私が小学校の頃一緒に歌ったことがあります。しかも「信濃の国」は、歌詞が六番まであって、長いうえに、四番は歌詞も違えばメロディーも違います。
 そんなことで、学校教育と長野県県歌「信濃の国」と県民意識が深く結びついている様に思いました。
 また、かつて、長野県南北分県論がもちあがった時、反分県派の人々が、県会議事堂を取り囲んで、「信濃の国」を合唱したというエピソード(伝説?)もあります。また、古くは長野国体、あるいは、長野冬季オリンピックでも、会場が「信濃の国」の大合唱になったことが報じられました。
 ちなみに、申し訳ない事に、埼玉県県歌、川口市市歌というものがあると思いますが、私は歌えません。